柴田大輔

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柴田 大輔(しばた だいすけ、1979年5月24日 - 2021年11月28日)は、日本の実業家。作家。犯罪者関東連合元リーダー、関東連合元最高幹部を自称する。筆名は「工藤 明男」(くどう あきお)。

概要[編集]

関東連合一派の暴走族「宮前愚連隊」8代目総長。関東連合昭和54世代の実質的なリーダーである。両親が不仲であるなど家庭環境が悪く、小学5年生の頃から学校に行かず万引きを繰り返したり、他校の少年と喧嘩をする不良少年だった。ゲームセンターに入り浸るうちに年上の不良中学生と知り合い、暴走族と関わりを持つようになる。小学6年生の時にはすでにバイクに乗り、暴走族の集会に参加していた。なお、暴走族として一番影響を受けた人物に三鷹スペクターの吉野サダカツを上げている。

身体的特徴として非常に背が低く「チビ大」とあだ名がつけられている。石元太一著の『反証』では「身長が150センチないくらい」と、瓜田純士著の『遺書』では「身長は150センチ前後のチビ」と記述されている。それ以外にも額が広い。

ペンネームについて[編集]

私のペンネーム「工藤明男」は、ネット住人の妄想によって作り上げられた“関東連合の黒幕”「工藤明生」のパロディーである。はっきりと断っておくが「工藤明生」などという人物は、それが偽名や稼業名(暴力団などがその世界でだけ使う名前)であったとしても、少なくとも関東連合の中には存在しない。警察や大手新聞社の記者でさえ「関東連合の『工藤明生』は実際にはどんな奴なんだ?」と聞いてくることがあるが、そんな人間には実際に会ったことも、見たこともない。もっとも、オレオレ詐欺の頭領として大金をつかみ、数年前まで歌舞伎町のキャバクラで派手に飲んでいた「工藤」を名乗る男の噂は耳にしたことはあるが…[1]

などと『いびつな絆』内で工藤明生は架空の人物であるとも取れるように書いているが、あくまで「工藤明生という人物は関東連合メンバー、または関係者の中には存在しない」という内容である(少なくとも嘘は言っていないという体裁)。歌舞伎町で派手に飲んでいた詐欺の元締めの「工藤」は知っていると最後に触れており、後に『酒鬼薔薇聖斗と関東連合』の前書きにおいて「同様の名前で該当する人物が実在することが(『いびつな絆』)刊行の間際にわかった」と書き、工藤明生が実在することを認めた(『いびつな絆』執筆時は本当に工藤明生の存在は知らなかったという体裁)。

経歴[編集]

下記の経歴については、主に柴田の著書や、柴田サイドから詳述されたニュースサイトから引用したものであり、柴田の都合の良いことばかり記述してあるので注意。

幼少期~暴走族現役時代[編集]

1979年に実業を経営していた日本人の父と、在日朝鮮人2世の母の子として東京都調布市飛田給で生まれる。小学3年のときに杉並区へ引越す。育った家庭は生活水準はそれなりにあったものの、両親の夫婦仲は悪く、小学高学年くらいから素行が悪くなる[2]。不良として過ごすうちに後に関東連合に連なる暴走族「宮前愚連隊」に入り、見立真一松嶋クロス石元太一、関東連合のメンバーではないが東京の不良として有名だった瓜田純士と知り合う。

14歳の時に傷害、恐喝の他にひったくりなどの余罪が明るみに出て、初等少年院に8ヶ月半ほど送られる[3]

杉並区の不良少年たちがチーマーグループ「イラプション」と対立した際には、最終的に両者の後ろ盾だった者の話し合いにより、4対4のゴチャマン(8人が一斉に戦うこと)で勝敗をつけることになった。しかしゴチャマンでは膠着状態となり決着がつかなかったため、さらに代表者を絞り1対1で戦うこととなると、後に反関東連合グループのトップとなる兄弟の兄・木村泰一郎が杉並代表として出た。柴田は傍観する立場であったが、杉並のリーダー格だった瓜田が代表で出なかったことに不満を持ち、その場で瓜田にヤキ(暴力による制裁)を入れた[4]

1996年2月に敵対チーム「高井戸魔天使」のメンバーの自宅を襲撃した件で暴力行為処罰法違反および器物損壊罪で逮捕され、別件のCRS連合の集会に紛れ込んだ際に因縁をつけてきた暴力団関係者を暴行した事件でも送検された[5]。家裁での判断は試験観察処分の補導委託(民間ボランティアに非行のあった少年を預けて、通学や仕事をさせながら生活指導する制度)となった[6]。補導委託先として配管工の親方に預けられたが、親方の暴力や暴言は日常的であり、さらには飲酒運転まですることから、在宅試験観察にするように弁護士を通じて家裁に交渉。その結果、1ヶ月後には在宅試験観察となり、自宅に戻ることになる[7]

対抗グループへの襲撃だけでなく、チーム名を入れたステッカーの販売やイベントのパーティー券の販売から、偽造テレホンカードの販売に携帯電話の横流しなどを行い、組織だった資金獲得活動をするようになる[8]。そうして親の金に頼らず生活し、多いときは月に100万円に近い収入を得ることもあった。その金で仲間内で飲み食いしたり、喧嘩の後に祝勝会を開いたり、暴走族活動に必要な床屋代、服装代、バイク代、携帯電話代などに費やしていた[9]

1996年12月に関東連合は、柴田の8歳ほど年上の関東連合OB川名毅と接近[10]。川名は本業のAVプロダクションの傍ら、渋谷の街を中心に様々な若い女性を集めては、実業家や会社社長を相手に接待させ、芸能・クラブ・不動産などの業界の人脈を作り上げた関東連合のパイオニア的存在であった[11][12]

1997年1月に捕まった仲間を激励する名目での集会中に、関東連合メンバーが交通事故を起こして一般人を死なせてしまう事件が発生[13]。柴田や見立ら関東連合メンバーは川名に相談し、柴田と見立は集会を主催していないと口裏わせをした結果、死亡事故についての罪には問われず、共同危険行為での罰金刑で終わった[14]

事件のもみ消しを川名に依頼したことで、関東連合と川名との距離が急速に縮まった[15]。柴田は、関東連合という組織で関東周辺のあらゆる不良少年やサークルや読者モデル等の若者たちを押さえ、様々なビジネスを展開することを考えるようになり、川名の下に就くことを決める[15]。柴田は川名が主催した接待相手もいる出所祝いで「女を集めれば金になる。柴田、お前にはできるか」と問われ、すぐに後輩メンバーに3人の読者モデルを連れてこさせた[16]。川名は柴田の女性を集める力に感心し、接待相手からは現金が渡された[17]

関東連合は川名との付き合いを始めたことで活動拠点は広がったが、木村兄弟グループをトップとする新宿ジャックスは放置できない敵意の対象となっていった[18]

敵対グループ「全日本狂走連盟」との抗争の末、1997年7月に起きた死傷者を出す乱闘事件に関与[19]。川名のツテで3ヶ月間ほど匿ってもらっていたが、下手打ちをしたことで呼び出してヤキを入れた三軒茶屋愚連隊の後輩に潜伏先を通報される。1997年10月に乱闘事件の首謀者として逮捕され、特別少年院送致となった[20]。川名は柴田を匿った犯人隠避の容疑で逮捕されたが、起訴猶予で釈放された[21][22]

暴走族引退から六本木事件まで[編集]

2000年3月に出院[23]。出院早々、柴田の潜伏先を密告した三軒茶屋愚連隊のリーダーから、落とし前として200万円を要求。これが柴田にとって最初に得た収入となった[24]

出院から2ヶ月後、後輩が運転する車に乗っていた柴田は、Uターン禁止場所でUターンして注意してきた男性を殴った傷害事件で逮捕された[25]。さらに、2~3週間前に神奈川県の暴走族グループのメンバーをさらって車のトランクに詰めた事件で被害届が出されて、暴行罪と逮捕監禁罪でも容疑者となっていた[26]。柴田は見立と松嶋が紹介した有力刑事弁護士に依頼し、執行猶予付きの有罪となって社会に復帰した[27]

柴田が出院した頃、川名を巡る環境が変化していた[28]。川名は柴田の入院中に傷害事件を起こして逮捕されており、判決は執行猶予であったものの、多額の弁護士費用と被害者に対する慰謝料のため経済的に厳しくなっていた[29]。また川名の片腕的存在である6歳年下の加藤伸雄も逮捕され、別件の恐喝事件も重なって実刑判決を受けていた。その間に川名のAVプロダクションに所属していたAV女優に逃げられるなどし、経済的にさらに苦しくなった[30][31]。川名は以前から関東連合メンバーを酷使し、仕事上のトラブルや接待相手に見せるデモンストレーションなど様々な場面で利用していた。ほかにもAV女優を紹介した際の紹介料は払われず、接待相手から受け取った関東連合メンバーへのタクシー代をごまかすなど、以前から極端にルーズな部分があった中で、さらに経済的にも厳しくなったことから川名の求心力は低下していった[32][33]。松嶋が川名から袂を分かつことを強く提案し、見立ら関東連合のメンバーもそれに賛同。柴田を含めた関東連合は川名と絶縁することになった(柴田はその1年後に元の上下関係に戻ることはないものの、連絡を取り合う程度には川名との関係を回復した)[34][35]

また、反関東連合グループのトップである木村兄弟とも接触。弟・孔次郎とは喧嘩をしたり、兄・泰一郎とは和解について話し合いをしたりしていた[36]

一時期、有名経営者のボディガードを務めた後で本格的に起業し、女性をAVにスカウトをする仕事を中心に金を稼いだ[37]。AVスカウトの仕事に嫌気がさして止めた後は、芸能プロダクションを経営することになるが、経営は四苦八苦を重ねていた[38]。起業してから1年後に関東連合のメンバー2人と共に広告に絡むIT会社を立ち上げ、アダルト動画・消費者金融・出会い系サイトの広告を中心に見たことのないほど金額が振り込まれるが、どんぶり勘定だったため資金が一時的にショートし、当時闇金融をしていた見立から1000万円の借金をすることになる[39]。柴田が経営する会社は連結売上で40億円ほどとなり、従業員数が80人ほどの規模になっていた[40]

2008年3月に見立の面倒見だった金剛弘が反関東連合グループと思われる集団に殺害される。警察が犯人を特定できない中、関東連合は反関東連合グループに報復するまで絶対に引き下がることのできないと考えるようになり、関東連合の中で暴力団化が急速に進んでいった[41]

2010年11月の11代目市川海老蔵暴行事件を機に関東連合に対する社会の目が厳しくなり、柴田は1億5000万円以上の個人所得があるのに不動産の審査が通らず、証券会社の口座が止められ、社会から疎外される焦りから事業意欲を失い、一時はハワイに滞在した[42]

六本木事件以後[編集]

ハワイから日本に帰ってきた直後の2012年9月に六本木クラブ襲撃事件が発生[43]。これは反関東連合グループのトップである木村孔次郎を狙ったものだが、人違いで無関係の人物を死亡させた事件であった[44]。柴田は事件発生の当日の夜に見立と会い、自分が実行犯であること、さらに最初の一撃を加えた張本人であることを明かされる。さらに見立は下の3人に罪をかぶらせて終結させることや自分はしばらく海外で隠れることを宣言し、逃亡のための金の面での援助を提案してきた[45][46]。柴田は見立が事件の実行犯として関与したことに驚く一方で、見立の下の3人に罪をかぶらせて事件を終結させるというロジックに懐疑的なコメントを返した[47]

見立が海外逃亡した後で、柴田は同じく事件に関与した見立と同い年の國田正春と佐藤幹二と弁護士を交えて相談に乗るようになる[48][49]。話し合った結果、國田と佐藤は逃亡せずに全員が出頭し、人違いで襲ったことは認めた上で、殺意を否認して傷害致死で減刑を狙うことになったが、見立はその方針に同意しなかった。見立は下の3人に罪をかぶらせて事件を終結させ、当面は自分を含めた他のメンバーを逃亡させたうえで、下の3人に「知り合いの女性をレイプされたからその復讐でやった」と言い張らせる方針を持ち、國田と佐藤と直接やり取りしようとはしなかった[50]。國田と佐藤は警察に出頭し、それに激怒した見立が「裏切り者の國田と佐藤は許さない」「裏切り者を支援する柴田も許さない」「裏切り者の國田と佐藤の供述を覆させろ」と脅迫がエスカレートしていった[51]

見立が仙台に本家がある山口組系暴力団を出した上で「國田と佐藤の供述を覆さなければ、柴田を殺す」と脅迫されたことで、関東連合を決別。筆名「工藤明男」として関東連合の内幕本『いびつな絆 関東連合の真実』を出すことになった[52][53]。「工藤明男」のプロフィールとして「東京・杉並区出身の関東連合元リーダーで、ITや芸能の分野で活動後、複数の企業の筆頭株主として投資と企業コンサルタントの活動に主に従事しており、警察当局から関東連合の資金源と目されてきた人物」としていた[54]。筆名の由来は「ネット住人の妄想によって作り上げられた“関東連合の(架空の)黒幕”『工藤明生』のパロディー」[55]。発売時期に『週刊文春』(7月4日号)の関連記事で初のインタビューを受けている[56]

本を出版後、ほどなく警視庁の保護対象へ。さらに商業登記から住所がばれる事態を防ぐためにそれまでの事業役職の一切を辞したうえで株主配当のみを受ける生活に入った[57]。六本木クラブ襲撃事件に関しては、2013年末に開かれた被告2名の公判に証人として出廷するなどもしている[58]

以後は関東連合や闇社会にまつわる話でメディアに寄稿している。しばらく筆名で通していたが、2016年に「柴田大輔」と実名を公開するようになる。実名を公開した理由として「実名を出さないのは卑怯だと言われるのが癪だから」「すでにネット上でも人間関係でも工藤明男イコール柴田大輔というのは周知の事実ですから」と述べている[59]

2016年12月にAbemaTVのAbemaPrimeでサングラス姿で初めて動画に声出し出演して、関東連合に関してコメントしている[60]

他人の著書による柴田に関する記述[編集]

石元太一
著書『反証』(双葉社)の中で工藤明男について以下のように述べている[61]
「身体的に優れていて喧嘩で名をはせたというタイプではなかったが、10代の頃は何か求心力めいたものがあった」「若い頃はかっこいい先輩だったし、好きな先輩の一人でもあった」「しかし、20代になり、そういった影響力が徐々に失いはじめ、彼のビジネスを支え続けていた人々が離れていった」「『会社を私物化して俺たちが稼いだ金を全て飲み代や女に使ってしまい、会社を皆で成長させようという気持ちが欠如している』と人から聞かされ、理解できた」「工藤に対して疑問や不審に思う出来事はあったものの、それがいよいよ露呈する事件が起こった際には見立が仲介し、見立から『工藤は一人一人に言っていることが違っており、本人はうまく立ち回っているようだったが全てめくれてしまい、皆の前で見立自身からヤキを入れられ、今後一切見立世代以外とは連絡を取らないことで話がまとまった』と聞かされた」「(傷害致死事件の遺族への対応について)『俺なんか頭のおかしい振りをしていたら、逆に遺族に同情されてさ』と話していた」「見立さえ抑えておけばよいという邪な気持ちから、自ら進んで、マンションや自分の会社名義の車を見立に貸していたことは紛れもない事実」「俺の前で見立に『金銭面でバックアップするので、見立はヤクザをやってくださいよ』とまで言っていた」「関東連合の名前をビジネスなど様々な場面でうまく使ってきた人間の一人で、仲間に対しても平気でひどい対応をしてきた」「本を出版したことで見立などに不満を抱えていた人間が自分に賛同してくれると考えていただろうが、工藤は正義心の強い仲間思いの強い人間ではなかったため、益々孤立するハメになり、さらには命まで狙われることになった」
瓜田純士
著書『遺書』(竹書房文庫)の中で工藤明男について以下のように述べている[62]
「同い年でお互いを良く思っていなかっただろうが、工藤と初対面した直後にバイク2人乗りでツーリングして対抗グループに負けるなと先輩風をふかしてきて自分は面白くなかった」「対抗グループとの最後のタイマン勝負で自分が出なかったことで工藤に場面としてヤキを入れられた。直後に松嶋クロスから工藤の格下と扱われるような暴走族への加入命令があるも断った」「工藤はビジネスをするにあたって人脈にステータスを感じる性格で、芸能界や経済界の大物を自分の誕生日に呼ぶ、川名のやり方を模倣していた」「反関東連合グループのトップの弟と会った工藤は口の効き方に腹を立てて、喧嘩を起こした」「反関東連合グループのトップの兄と会った工藤は関東連合の傘下に入ることを要求したが、対立はしないが媚びないと返された際に休戦協定とも宣戦布告とも取れる言葉を述べた」「後日、工藤は反関東連合グループのトップの兄弟とやりあった話はしないという自分との約束を破って関東連合幹部に話をし、それ以後は工藤とは会わなくなった」
柴田は瓜田について「彼の話はどこまでが嘘でどこまでが本当かよくわからない」「『遺書』は僕たちのなかでは『うしょ(うそ)』と呼ばれ、馬鹿にされている」と述べている[63][64]
溝口敦と多田達也(川名の仮名)
柴田がまだ工藤を名乗っていた頃、溝口敦の『闇経済の怪物たち』(光文社新書)(2014年から2015年に『週刊宝石』で連載されたものをまとめたもの)では「第7章 六本木の帝王と関東連合」では川名との取材に絡む文章の中で、柴田について言及されている[65]
そこでは溝口は実名「柴田大輔」について「見立に従ったり反発したりしてきた副官級」としたうえで「見立からの報復攻撃を恐れるとして警察の保護を受けながら、自伝で見立批判を行い、関東連合の四分五裂状態を定着させた」「実在の人物と錯覚するような筆名を使って自伝本を書く」と「工藤明男」という筆名を避けながらも、容易に同一人物と特定できるような書き方がされていた。溝口の取材を受けた川名は「柴田は過去の内情を語りながら、ホントに知られたくないことは巧妙に隠している。生き方として完全におかしい。自慢できる半生だったのか」と述べている。

著書[編集]

工藤明男
  • 「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島社)後に宝島SUGOI文庫で文庫化。
  • 「実録! 激変する日本の闇社会」 (宝島社)第3章の1節『関東連合とヤクザの「いびつな関係」』を担当。後に「暴力団のタブー」として宝島SUGOI文庫で文庫化。
  • 「破戒の連鎖」(宝島社)後に「破戒」として宝島SUGOI文庫で文庫化。
柴田大輔
  • 「酒鬼薔薇聖斗と関東連合」(宝島社)
  • 「聖域」(宝島社)
  • 「comics Black Flower」シリーズ(宝島社)原作担当。脚本は大島保、イラストは山根聖史。
  • 「「惡問」のすゝめ」(徳間書店)猫組長や沖田臥竜との共著

出典[編集]

  1. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)199-200頁
  2. 「関東連合」元最高幹部に聞く、芸能人が裏社会と深い関係になりやすい理由 cyzowoman 2016年12月14日
  3. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)144・145頁
  4. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)161-163頁
  5. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)128-140頁
  6. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)140頁
  7. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)142-144頁
  8. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)182頁
  9. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)182-187頁
  10. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)23-30頁
  11. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)95・96頁
  12. 柴田大輔「聖域」(宝島社)24頁
  13. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)32-44頁
  14. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)44-50・55-57頁
  15. 15.0 15.1 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)218頁
  16. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)226-230頁
  17. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)230-235頁
  18. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)238頁
  19. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)274-277頁
  20. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)283-292頁
  21. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)293頁
  22. 柴田大輔「聖域」(宝島社)46頁
  23. 柴田大輔「聖域」(宝島社)19頁
  24. 柴田大輔「聖域」(宝島社)51-54頁
  25. 柴田大輔「聖域」(宝島社)65-69頁
  26. 柴田大輔「聖域」(宝島社)70頁
  27. 柴田大輔「聖域」(宝島社)73-81頁
  28. 柴田大輔「聖域」(宝島社)46頁
  29. 柴田大輔「聖域」(宝島社)47-49頁
  30. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)106頁
  31. 柴田大輔「聖域」(宝島社)47-49頁
  32. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)104・105頁
  33. 柴田大輔「聖域」(宝島社)49・50・95-99頁
  34. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)109-113・153頁
  35. 柴田大輔「聖域」(宝島社)100-108頁
  36. 柴田大輔「聖域」(宝島社)145-156頁
  37. 柴田大輔「聖域」(宝島社)116-137・199-210頁
  38. 柴田大輔「聖域」(宝島社)211-239頁
  39. 柴田大輔「聖域」(宝島社)239-253・259頁
  40. 柴田大輔「聖域」(宝島社)281頁
  41. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)272-275・286-293頁
  42. 柴田大輔「聖域」(宝島社)379・380頁
  43. 柴田大輔「聖域」(宝島社)380頁
  44. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)45-47頁
  45. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)34-38頁
  46. 柴田大輔「聖域」(宝島社)380頁
  47. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)36・38頁
  48. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)220頁
  49. 柴田大輔「聖域」(宝島社)387頁
  50. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)234・235・242-249頁
  51. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)207・334・341頁
  52. 工藤明男「いびつな絆 関東連合の真実」(宝島SUGOI文庫)238・242頁
  53. 柴田大輔「聖域」(宝島社)433頁
  54. いびつな絆 関東連合の真実宝島チャンネル
  55. 『いびつな絆 関東連合の真実』 : “「工藤明生」の正体” (p.183) 2013年 工藤明男 宝島社 ISBN 978-4-8002-0991-7
  56. 『週刊文春』の「関東連合」元最高幹部インタビュー記事のイニシャル部分の実名』(要購読登録) 2013年7月1日 アクセスジャーナル
  57. バクロ本を出された関東連合は解体危機』 2013年7月8日 溝口敦
  58. 関東連合元幹部、工藤明男の独占手記公開!~六本木クラブ襲撃事件の公判に大きな影響を与えた『いびつな絆』~』 2013年12月10日 宝島
  59. 関東連合元リーダーが実名で“IT長者”たちの夜の素顔を暴露! 楽天三木谷、サイバー藤田、ホリエモン… リテラ 2016年10月28日
  60. なぜ関東連合は夜の街で暗躍できたのか 元リーダーが明かす AbemaTIMES 2016年12月6日
  61. 石元太一「反証」(宝島社)75-78・94頁
  62. 著書「遺書」(竹書房文庫)55-59・80-85・100-110・114-119・136頁
  63. 工藤明男「破戒」(宝島SUGOI文庫)161頁
  64. 柴田大輔「聖域」(宝島社)380頁
  65. 溝口敦「闇経済の怪物たち」(光文社新書)170・185頁

外部リンク[編集]