横山裕史

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横山 裕史(よこやま ゆうし、1970年4月30日 - )は、女子高生コンクリ詰め事件の主犯格・少年A本人。旧姓は宮野(みやの)。

人物[編集]

身長160cmと小柄だがガッシリとした体格でスキンヘッドが特徴(少年当時)。両親の厳しい「しつけ」が原因で小学生時代にも家庭内暴力や器物損壊罪を起こした過去がある。しかし、勉強がよく出来るクラスメートと知り合いになり、まじめになったとの事である。ちなみに小学校の卒業文集で書かれた将来の夢は「少年院の院長」であり、その理由として「少年院の院長になりたい。オレ、悪いことをいっぱいした。万引き、ケンカ、たいがいのことはやった。だから、悪いことをやった奴の気持ちがわかる。オレなら非行少年と呼ばれてる連中を立ち直らせてやれる。オレに向いてるのはそういう仕事だと思う。」と書かれていた。

風貌は葵龍雄クソガキどもを糾弾するホームページで知ることが出来るが、写真を見た限りだと根暗臭い顔をしている。

中学時代は軽量級の柔道の選手として活躍。その実績が買われ、東海大学付属高輪台高等学校へ柔道で推薦入学するも進級寸前で中退(理由は来歴に後述)。中退後に見習いタイル工として働き始めるが、免許取得時の合宿中に暴力団員と知り合い、彼のパシリとなる。当時の交際相手(渡邉恭史(少年D)の姉)に「18になったら結婚しよう」と約束していたが、先述の暴力団員のパシリとなってからは頻繁に性犯罪を起こすようになり、それが原因で彼女に愛想を尽かされ、そのまま破談となった。本人自身もこの時点から交際相手に関心がなかったようである。

1989年3月、小倉譲(少年B・後の神作譲)とともに強姦罪で逮捕される。その際に女子高生コンクリート詰め殺人(猥褻誘拐・未成年略取・監禁・強姦・暴行致死・死体遺棄)の犯行を自供したため再逮捕され、懲役20年の服役として千葉刑務所に収監される。しかし、服役態度は悪く懲罰房へ何度も収容されるも反省の態度は皆無。

2007年2月2日に仮出所。姓を「横山」に改姓して栃木県南部に在住し、茨城県西南西部の派遣会社に勤務している、または東大阪市西石切町の輸入住宅で生活し靴工場で働いている等の噂が存在している。

2009年夏に満期出所。

2013年1月上旬、パチンコ必勝法の情報料名目で現金を騙し取る振り込め詐欺容疑で池袋署に逮捕されるも黙秘を貫いて1月31日に不起訴処分となり釈放。末端の役回りだったともいえる。

2013年多摩市のアパートに住んでいたらしい、格闘ジムに通い試合までやっていた、スキンヘッドでメガネをかけている。

家族[編集]

  • 父親・宮野良規(当時47歳)…証券マンを経て証券外務員に。
  • 母親・宮野静江(当時47歳)…私大音楽学部卒業後、ピアノ教室の講師に。
  • 妹…事件当時11歳 中央大学文学部へ進学したらしい

事件後、両親ともに辞職。妹の家庭教師の日記がHPで公開されていた。(問題の日記へ)

来歴[編集]

  • 足立区立綾瀬小学校卒業。
  • 足立区立東綾瀬中学校では柔道部に所属し、都大会で2位の成績を残す。
  • 周囲からの勧めで東海大学付属高輪台高等学校へ柔道で推薦入学。しかし、柔道部内でのいじめや教師からの体罰を理由に1年の3学期で中退。
  • 関西の篤志家と養子縁組して「横山(?)」と改姓。
  • 千葉刑務所の皮革工場で懲役。2009年夏満期出所し、東大阪市の靴工場で働くも、過去の前科が発覚して解雇される(懲戒解雇ではないので就業した分の給料は退職時に貰っている。無論、大阪で購入した家もそのまま空家となる。)。
  • 栃木県小山市に住み、古河市で派遣社員(キャノン化成?)となる。