「2014年朝日新聞誤報問題」の版間の差分

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'''2014年朝日新聞誤報問題'''(-ねんあさひしんぶんごほうもんだい)とは、2014年に、朝日新聞と、読売やら産経やら、その他の新聞社との間で起こった、喧嘩である。
  
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2017年5月24日 (水) 12:24時点における最新版

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2014年朝日新聞誤報問題(-ねんあさひしんぶんごほうもんだい)とは、2014年に、朝日新聞と、読売やら産経やら、その他の新聞社との間で起こった、喧嘩である。

経緯[編集]

福島第一原子力発電所の事故と、従軍慰安婦について、朝日新聞が虚偽報道を行っていることが判明した。朝日新聞は報道の質の悪さに定評があったので、皆「また朝日がやらかしたのか」と冷笑した。憂国の志士達は、鬼の首を取ったかのように騒ぎ始め、良心的(笑)なプロレタリア達は、産経とかだってやってるだろうと、非難の矛先をよそへかわす詭弁を用いて反論にもならない反駁をした。

扱っている出来事が地雷のように重大な案件であったので、影響力は大きかった。競合相手である他の新聞社達は、すわ、これは朝日を潰す絶好の好機だぞとはしゃぎ始め、一斉に朝日叩きを始めた。これに対して朝日新聞の一部記者は「お前らのところだって虚偽報道はやってただろ」「お前が言うな」と反駁したが、マスコミを唾棄するネット民を味方につけ、時の風潮の荒波に乗った産経や読売による朝日攻撃の前には為す術もなかった。

結局、朝日は蜥蜴の尻尾切りを適当に行い、あとはひたすら沈黙をするか、某飲食店のように開き直りをし続けるかして、ほとぼりがさめるのを待つしかない。

そしてほとぼりが冷めた後、山吹色のお菓子を片手に、産経や読売の偉い人を接待に誘って、適当に和解しておくのである。

概要[編集]

よくある茶番の一つであり、それほど大事件ではない。そもそも赤井邦道という二流の釣り師に引っかかってしまった朝日新聞である。報道の質が粗雑なのは今に始まったことではない。結論ありきで怪しげな情報源から歪曲した報道をしても不思議ではない。おそらく、詮索すればもっと埃が出てくる。そしてその埃を読売も産経も知っているし、読売や産経も叩けば埃の山が出てくる。しかしあえてそこまでは突っ込まない。突っ込んだら茶番で済まなくなるからである。

そもそも読売も朝日も産経も裏では仲良く繋がっている。彼らはボヤに油を注いで集客を画策し、八百長試合を行っているに過ぎない。火消しに必死な朝日と、猛追する産経や読売、という構図に、一般人達の視点からは見えるが、マスコミ各社は裏で結託してやらせをやっているに過ぎない。何のためか、当然、客を集めるためである。客を集める為なら珊瑚に傷をつける自作自演もするし、坂本弁護士一家の情報をオウムに横流しもする、それがマスコミである。昔からそういうことばかりやってきたのは既に周知であり、分かる人は「またいつもの茶番が始まった」ぐらいにしか思っていない。

この虚偽報道によって著しく名誉を傷つけられた吉田昌郎元所長は2013年に死去している。今更事実に基づかない中傷でしたと訂正されたところで覆水、いや遺灰は盆には返らない。しかし坂本弁護士一家の時といい笹井芳樹の時と言い、海外であればダイアナ妃死亡事故も該当するが、マスコミは火のない所に火を付けて油を注いで取り返しのつかない事態にしてしまうことがよくあるので、汚泥にまみれたマスコミの歴史にまた1ページが刻まれた程度でしかない。

なお、中国韓国は朝日の行く末がどうなろうがこれまで通り謝罪と賠償を要求し続ける方針である。

朝日新聞による必死の火消し[編集]

当の朝日新聞は、この騒動を隠匿しようとネット工作員を総動員して必死の火消し騒動を行っている、らしい。そして、その工作はアンサイクロペディアでも行われており、何らかの攻撃が行われて度々サーバーがクラッシュしている、らしい。どうやらこの記事が立ち上がってからその頻度が高くなったようだ。間違いなく何らかの圧力を朝日及びその同調者、信奉者、ないし彼らが雇ったスーパーハカーが行っているのは明白である。この記事にも「どうしようもない記事」の烙印が押されており、このままでは削除されてしまう。これは明らかに、不都合な真実を闇の底へ抹消しようとする何らかの策動がある証拠ではないか。おそらく多数の朝日新聞の記者たちが、顔を真っ赤にして、この記事やアンサイクロペディアにF5アタックを連打したり、何らかのスクリプトやウィルスを仕込んできている。それは間違いないのだ。このサイトが重いのが何よりの証拠だ。我らアンサイクロペディアンが禁忌の壺を覗いてしまったために、それを抹消しようとする圧力が働き始めているのだ。

今後[編集]

とんでもない虚偽報道が発覚してしまった朝日新聞は、今後どう身を処するか。暢気に天声人語や社説を執筆・掲載しているところを見ると、ほとぼりを冷めるまでやり過ごす魂胆であると考えられる。しかし、元からマスゴミ憎しで団結しているネット民達はそう簡単には有耶無耶にはさせない。そこで朝日新聞側も少なからず工作員を雇って工作活動を行うことが推測される。が、もう既に


焼け石に水


である。あの珊瑚事件ですら未だに忘れ去られておらず、その一件について朝日新聞を絶対に許さないという意見が少なくない要出典。ましてや今度の一件は東日本大震災従軍慰安婦問題という日本の抱えるとてつもなく大きい地雷案件である。それでやらかした、例えるなら地雷原にさらに地雷を大量に埋め込んだのだから、埋め込んだ地雷の爆発で本社が吹っ飛ぶぐらいの覚悟をしなければならない。事実、ちょっと頭の残念な憂国の志士バカ発見器で「殺害リスト」なるものを作って、複数の朝日新聞記者をリストアップ、間接的に殺害を示唆した林真須美の自宅は放火されて全焼し、宮崎勤の父親は自殺へ追い込まれた。それらと同じような事態が、今、朝日新聞に迫っている。この槍の衾をどのように切り抜けるのか、今まで歪曲してまで散々誰かを攻撃する側だった報道機関が攻撃される側に回って、どこまで持ちこたえられるのか。全ては朝日新聞各社員の社会の木鐸としての気概にかかっている。叩いてる読売やら産経やら各週刊紙とは裏では仲良くしてて八百長プロレスやってるだろうし、朝日新聞が潰れることはどーせないだろうけど。

第三者委員会[編集]

なお、今回の一連の朝日新聞に関する騒動のクライマックスと言えるのが、木村伊量社長自らが設置を明言した第三者委員会である。もちろん、朝日新聞によって選ばれる外部の人間を集めた委員会という時点で、すでに中身とお里が知れたようなものであるけれど、一応は第三者によって朝日新聞とその関連企業に関する問題をさらけ出すことで、ちょっとはまともな記事を書けるような体制を期待する人間は多い。もちろん、別の意味での成功を願う人間はそれ以上に多い。

実際問題として、委員会に選出されたメンバーの中になぜだか朝日新聞出身者が含まれていたり、なぜだか朝日出版から書籍を出している人間がいたり、さらには報道に関する知識人と称しつつも、経歴が血まみれであったり、赤シャツ隊に所属していたりするような人間が含まれていることを、多くの人間が期待している。あわせて、2015年7月8日になってから在日韓国人通名使用が原則的に禁止された直後になぜだか名前を表に出すことが憚られるような人物が委員会に所属していたことをすっぱ抜かれるぐらいが朝日新聞の日常である。そして、そんな可能性がやけに高い。

そんな想いが去来する朝日新聞の第三者委員会については、9月12日に委員長として名古屋高等裁判所元長官である弁護士中込秀樹氏が任命されており、今後、氏の人選がどうなるかが注目されると同時に、中込氏は人選すらしないんじゃないかという点もまた注目である。というのも、すでに朝日新聞社内では第三者委員会のメンバーが漏洩、もしくは確定しており、9月15日付けの朝日デジタルでは、弁護士である中込氏を含めジャーナリストや歴史学者らによって委員会を立ち上げるとしている。

とりあえず、自分たちの会社の大スキャンダルを検証する存在について、事前にどういった情報を出せばいいか、どう取り扱ったらいいかについても、第三者委員会での検証が待たれる。

ちなみに、9月17日に朝日新聞は今回の一連の問題に関し、すでに設置されている外部の第三者機関「報道と人権の委員会」(PRC)を招き誤報に関する検証を始めているもののなぜだか、吉田調書問題のみで従軍慰安婦問題についてはノータッチであるところが朝日新聞というものである。なお、PRCはあくまでも既存の委員会であり、その名のとおり報道人権について協議を行う存在である。そのため、新設される第三者委員会とは別の組織である。

あわせて、今後の参考としてPRCのメンバーとして朝日新聞が選んだ人材をインターネットで調べると、NHKの元副会長と、岩波書店から書籍を出している憲法学者。さらには最高裁判所の元判事で光市母子殺害事件の死刑判決の際に、唯一死刑に異議を唱え、審理を差し戻すように意見を述べた経歴を持つ弁護士の3名となっている。

従軍慰安婦問題の検証[編集]

10月2日、朝日新聞はようやくというかついにというか、従軍慰安婦に関する誤報問題についての第三者委員会を発足させる。しかし、公開されたメンバーの中に田原総一朗氏が含まれていたため、即座に第三者という言葉が無に帰すこととなる。同時に朝日新聞の日本語能力についても疑問が持たれるものの、すでに社長以下編集局長も含め、捏造と誤報の区別がついていない気がしないでもない時点で、特に問題はない。そのため、朝日新聞にとっての第三者とは、身内も含まれていることであってもまったくおかしくはない。

もちろん、委員会を指名する上層部がどう見ても身内の人物を加えないとまずいレベルにまで追い詰められている可能性も高いのだけれども、少なくとも朝日新聞の社内からは今回の指名についての問題意識は存在していない。実際問題として、田原氏は朝日新聞が出資するテレビ朝日で政治番組の司会をするような人物であり、その言論は立場上、強烈に朝日新聞の擁護に向けられてもおかしくはないのだけれども、そもそも朝日新聞だからこそこういった指名と検証を行うに違いないとすでに分かっていた人間は多い。非常に、多い。そしてその検証結果についても、すでに人選の時点である程度の内容が予想されており、朝日新聞も当時の記者もまったく悪くないことにして、嘘の証言を繰り返した吉田清治氏に全ての責任を押しつけつつ、このようなことが二度とないように猛省するとともに木村伊量社長が辞任することで全ての幕引きを狙っているというストーリーが9月末の時点でようやく完成し、後は委員会に送り込んだ田原氏がそのストーリーに沿った議事進行を行いつつ、大事故や大事件などの目くらましの中で粛々と朝日新聞の禊を済ませるだけで、朝日新聞は逃げ切れる可能性がある。

と、考えている。

あわせて、9月15日の時点で委員長が任命された後、傀儡となる田原氏以外のメンバーが決まるまで半月以上もかかったのは、保身のために身内の人間を差し込もうとする勢力と、第三者委員会に身内を入れるという恥を何としてでも回避したい勢力の暗闘の結果である。ということにする。でないと、紙面は読まれないのに手の内が読まれすぎる朝日新聞がかわいそうである。

あわせて、今回の第三者委員会の発足について、心ある記者の皆さんの無念の思いはいかばかりか想像だに難くない。

もっとも、その委員会にしても発足から1週間後の10月9日にようやく初会合を開くという時点で遅きに失している状態である。せっかくなので、第三者委員会が絶対に取り上げなければいけない話で、なおかつ、従軍慰安婦問題の根本的な原因を以下に記載する。

従軍慰安婦問題の根本的な原因[編集]

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「在日朝鮮人の帰還事業」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。

1950年代から1984年にかけて、実は朝日新聞は朝鮮半島におけるとんでもない人権侵害に深く関わっており、その話がめぐりめぐって日本に対する従軍慰安婦問題へと昇華することになる。実際、あれほど朝鮮半島における人権侵害に熱心であった朝日新聞が決して振り返ろうとしない時点で、この問題がいかにタブーであったかが分かると同時に、そもそも、日本政府も深く関わった話が、結果的に数万人の命を奪うことになるのだから、社会システムに則った虐殺というものは本当に恐ろしい。

しかも、日本政府は虐殺を防げなかった責任が存在するのに対し、日本の各種報道機関のについては積極的に北朝鮮のプロパガンダに加担し、虐殺に深く関わったという責任がある。

というわけで、日本近代史に残る虐殺について簡単に説明すると、一般的に在日朝鮮人の帰還事業と呼ばれたプロジェクトがそれに該当する。この話は、戦前から戦中にかけて日本に密入国した朝鮮人に対し、北朝鮮金日成国家主席が帰国を促したことより始まり、その後、なぜだか、日本中の報道機関が彼らの帰国を盛り立てた結果、10万人近くの人々が北朝鮮へ渡ることとなる。そしてそのまま世界最悪とも言われる貧困と差別に苦しみ、多くの人間が命を失うことになる。

無論、数十年にわたって続けられた国家的な事業であり、北朝鮮が率先して命を奪ったわけでもない。単に、人間が生きてはいけない状況に放置しただけであり、それが北朝鮮のよくある光景だっただけで。そのため、あまりの胡散臭さから多くの在日朝鮮人が日本に残ることを選んだものの、実際は日本のメディアによって、北朝鮮が地上の楽園であると信じ込まされて帰国していった人々が万人単位で存在する。そして、いざ楽園に降り立った人に待っていた現実たるやもう。とりあえず、帰国してきた同じ民族を平民の下に配置し、財産を没収。その上で、配偶者もしくは両親に連れ添って入国した日本国籍を有する人々は、日本人というだけで罪になり、収容所へ送られることになる。幸い、配偶者が民族団体の高位の立場にあった人々は収容所送りは免れたものの、2000年代以降、日朝関係が融和に動いた際に、実際に帰国できた人間がヒトケタしかいない時点でもう。

なお、北朝鮮による拉致問題の根幹には、帰国事業で簡単に手に入った奴隷の供給が先細りとなり、その結果、別ルートを求めたという側面もある。

こういった話をなかった事にして、朝日新聞が朝鮮半島で従軍慰安婦に対する人権侵害を行われたと報道し続ける気持ちもよく分かる。分かりすぎる。結局のところ、そう言い続けないと自分たちがもっとひどい人権侵害に関わったことが明らかにされるためである。かもしれない。事実、1950年代の初期北朝鮮帰国事業によって日本から離れた人々については、単純に貧困などの問題から日本での生活に見切りをつけ、一攫千金を求めて祖国へ渡る人々が多かったものの、それ以降、特に60年代から70年代にかけての多くの帰国者は、日本に生活基盤を有しており、帰国することでそういった資産を全て手放さざるをえない状況にあった。そのため、日本としては民主主義国家という立場上、彼らを無理に帰国させることは出来なかったけれども、なぜだか、どこかの誰かが報道機関に手を回すことで、そういった人々を宣伝によってコントロールすることが可能になる。

結果、帰国事業は最盛期を迎えることになる。その後、数万人規模で強制収容所に入れられることも知らず。日本よりもさらにひどい貧困と差別に苦しむことも知らず。誰も地上の楽園について報道することもないまま。10年以上にわたって。

せっかくなので、どういった話が北朝鮮政府を通じて日本の報道機関にもたらされていたかを記載すると、ウィキペディアにもある1960年2月26日の朝日新聞の記事の内容をコピペしただけでもそのひどさがよく分かる。なんせ、

『帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ。』

と来たもんだ。その上で、2004年5月18日付の紙面で、

『帰国事業は日本政府による朝鮮人追放政策だった。』

とのたまうのだから恐ろしい。

最終的に、この帰国事業で北朝鮮へ渡ったとされる人間の数は93,340人。その中で、日本国籍を有する人々は6,839人ののぼり、彼らの多くが北朝鮮国内で行方不明のままである。

あわせて、1970年代以降、帰国した人々の実情が様々なルートから徐々に明らかにされていく中、地上の楽園という言葉を信じないで日本にとどまった人に対して、北朝鮮は彼らの身内を通して様々な圧力が加え続ける。改めて帰国を求めたり、物資や日本円を家族の言葉を借りて送るよう求めたりする便りが北朝鮮から数多く日本へ持ち込まれると同時に、その貧困と社会的な差別、何よりも北朝鮮の実態に関する記述はとことんまで隠蔽され、いつまでもどこまでも地上の楽園というキャッチフレーズのまま、数万人もの人間が公的な奴隷貿易の犠牲となる。

ちなみに、そういった支援の多くが北朝鮮のミサイルに化けたこともよく知られている。

というわけで、この話については従軍慰安婦問題など消し飛ぶレベルで人権が否定されているんだけれども、なぜだか日本の報道機関は報道しない自由を駆使する。1960年代にはすでに北朝鮮の実態が明らかになっていたにも関わらず。結局、ソ連の崩壊の結果、東側の情報が一気に日本へともたらされ、北朝鮮の惨状が明らかになったにも関わらず、帰国を促した報道機関の責任についてはまったく省みられることはなかった。むしろ、省みられることのないように、従軍慰安婦で日本政府を叩き続けた。

そのため、ある意味では在日朝鮮人こそが報道しない自由の一番の被害者であったわけで、そういった情報の共有が出来ない中で多くの身内や顔見知りを失った経験から、日本に残った在日朝鮮人がどういった考えにいたるかを想像するのはたやすい。そして、日本政府や北朝鮮政府、そして日本の報道機関についてどう思ったかどう感じたかどう動いたかを考えると、従軍慰安婦問題で自民党政権を叩き続けて最終的に1993年の自民党政権崩壊まで持ち込む気持ちが理解でき、なくはない。

結局、報道という兵器の恐ろしさをいの一番に味わったからこそ、1970年代以降、在日朝鮮人が報道機関に身内を送り込むことにやっきとなるのも当然の帰結である。しかし、1984年に北朝鮮への帰国事業が終了し、それと同時に人民の飢餓が明らかになった直後、当然のことながら、帰国した在日朝鮮人を救おうという話が出てくるものの、当時国交のなかった北朝鮮に対する圧力は日本政府には無理であり、結局、日本からの人道支援がそっくりそのままミサイルに化けたことが判明するまで、在日朝鮮人は北朝鮮に物資と資金を送り続けることとなる。

で、判明した後に、日本は北朝鮮への人道支援を凍結。そのため、北へ送られる資金は宙ぶらりんになるものの、なぜだか、朝日新聞が従軍慰安婦問題をぶち上げる。大々的に。世界的に。その結果、北朝鮮への帰国事業に関する報道は日本軍による蛮行の影に隠れることとなる。実にまったく見事な偶然であるけれども、気にしない。

といった話を第三者委員会で採り上げたら、朝日新聞にはまだ復活の可能性はある。

関連項目[編集]