仲野親王

提供: Yourpedia
2008年10月26日 (日) 20:15時点におけるAbcde (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: ''''仲野親王'''(なかのしんのう、延暦11年(792年) - 貞観9年1月17日867年2月25日))は...')

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

仲野親王(なかのしんのう、延暦11年(792年) - 貞観9年1月17日867年2月25日))は、平安時代前期の皇族桓武天皇の第12皇子で、母は宮人藤原河子藤原大継女)。平城天皇嵯峨天皇淳和天皇らの異母弟で、同母兄弟に安勅内親王大井内親王紀内親王善原内親王がいた。

生涯

弘仁5年(814年)四品に叙される。当時の親王の初叙が18歳であった中で親王の初叙が遅かった理由については不明である。天長7年(830年大宰帥に任ぜられた。天長10年(833年)に三品に昇叙され、承和9年(842年弾正尹に任ぜられ、承和14年(847年)に二品になった。嘉祥3年(850年式部卿になり、仁寿3年(853年常陸太守を兼任する。貞観3年(861年上総太守を兼ね、貞観5年(863年)に大宰帥に遷任。翌年の貞観6年(864年)、輦車に乗り宮中に入ることを勅許された。貞観9年(867年)正月17日、76歳で薨去した。山城国葛野郡内(京都市右京区太秦垂箕山町)の高畠墓に葬られた。

幼少の頃から利発で、人柄も寛大だったらしい。藤原緒継から学んだ音儀詞語に詳しく、六条第で藤原基経大江音人らに音詞曲折を教えたという。息子14人・娘15人の父で、子に平茂世(茂世王)・輔世王房世王秀世王当世王基世王潔世王実世王十世王在世王康世王則世王惟世王宜子女王班子女王らがいた。娘の班子女王は光孝天皇の女御で宇多天皇の母となり、その宇多天皇が即位したため、外祖父にあたる仲野親王に一品太政大臣が追贈された。

参考文献

  • 平野邦雄・瀬野精一郎編『日本古代中世人名辞典』吉川弘文館、2006年。