「下野竜也」の版間の差分

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==概要==
 
==概要==
1969年、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島市立田上小学校、鹿児島市立武中学校、鹿児島県立甲南高等学校から鹿児島大学教育学部音楽科卒業。
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1969年、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島市立田上小学校、鹿児島市立武中学校、鹿児島県立甲南高等学校から鹿児島大学教育学部音楽科を卒業する。
桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で指揮を学ぶ。1996年にはイタリア・シエナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得。1997年から1999年まで、大阪フィルハーモニー交響楽団で指揮研究員となる。1999年9月より文化庁派遣芸術家在外研修員として、ウィーン国立演劇音楽大学で学ぶ。2001年6月まで在籍。
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桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で指揮を学ぶ。1996年にはイタリア・シエナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得。1997年から1999年まで、大阪フィルハーモニー交響楽団で指揮研究員となる。1999年9月より文化庁派遣芸術家在外研修員として、ウィーン国立演劇音楽大学で学ぶ。2001年6月まで在籍した。
2000年東京国際音楽コンクールで優勝。
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2000年東京国際音楽コンクールで優勝して知られる。
 
2001年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、注目を集める。
 
2001年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、注目を集める。
 
ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、ストラスブールフィル、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、フランス国立ロワール管弦楽団、ウィーン室内管弦楽団、カンヌPACA管弦楽団、チェコフィルハーモニー管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団、シンフォニー・シリコン・バレーで指揮をとる。
 
ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、ストラスブールフィル、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、フランス国立ロワール管弦楽団、ウィーン室内管弦楽団、カンヌPACA管弦楽団、チェコフィルハーモニー管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団、シンフォニー・シリコン・バレーで指揮をとる。
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NHK交響楽団には2005年に初登場した。以後定期公演では20世紀作品と古典を組み合わせるなど意欲的なプログラムを披露している。
 
2006年、読売日本交響楽団の初代正指揮者に迎えられ、2013年4月から17年3月まで常任首席客演指揮者であった。
 
2006年、読売日本交響楽団の初代正指揮者に迎えられ、2013年4月から17年3月まで常任首席客演指揮者であった。
 
2007年4月に上野学園大学音楽学部教授に就任、2016年7月まで務めた。
 
2007年4月に上野学園大学音楽学部教授に就任、2016年7月まで務めた。
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2010年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では、レジデント・コンダクターとして、子どものための音楽会などを担当する。
 
2010年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では、レジデント・コンダクターとして、子どものための音楽会などを担当する。
 
2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任、2014年4月から京都市交響楽団常任客演指揮者、2017年4月からは同常任首席客演指揮者を務めた。2017年4月、広島交響楽団音楽総監督に就任。2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任。
 
2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任、2014年4月から京都市交響楽団常任客演指揮者、2017年4月からは同常任首席客演指揮者を務めた。2017年4月、広島交響楽団音楽総監督に就任。2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任。
2017年4月から2023年3月まで京都市立芸術大学音楽学部教授。
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ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮しており、海外でも豊富な経験をもつ。
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2017年4月から2023年3月まで京都市立芸術大学音楽学部教授。2023年10月5日、NHK交響楽団の正指揮者に就任した。2024年4月から札幌交響楽団首席客演指揮者に就任予定である。
 
==評価==
 
==評価==
わが国でも最高レベルの楽団のひとつとされる読売日本交響楽団の正指揮者に選ばれ、さらに任期を延長されたこと、フランス、イタリアの楽団に出演したあと、再演を依頼されているいることから実力は折り紙付きである。手際のよさと、細かいところでもバンバンと指摘しながら、響きにメリハリをつけていく。ヒンデミット、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン、ベートーベンなどが得意である。言葉だけではなく身体全体を使ってコミュニケーションをとり楽団をまとめ上げる。
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わが国でも最高レベルの実力を誇る読売日本交響楽団の正指揮者に選ばれ、さらに任期を延長されたこと、フランス、イタリアの楽団に出演したあと、再演を依頼されているいることから実力は折り紙付きである。手際のよさと、細かいところでもバンバンと指摘しながら、響きにメリハリをつけていく。ヒンデミット、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン、ベートーベンなどが得意である。言葉だけではなく身体全体を使ってコミュニケーションをとり楽団をまとめ上げる。
 
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2023年10月7日 (土) 20:53時点における最新版

下野竜也 (しものたつや, 1969年12月25日 -)は日本の鹿児島県出身の指揮者である。

概要[編集]

1969年、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島市立田上小学校、鹿児島市立武中学校、鹿児島県立甲南高等学校から鹿児島大学教育学部音楽科を卒業する。 桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室で指揮を学ぶ。1996年にはイタリア・シエナのキジアーナ音楽院でオーケストラ指揮のディプロマを取得。1997年から1999年まで、大阪フィルハーモニー交響楽団で指揮研究員となる。1999年9月より文化庁派遣芸術家在外研修員として、ウィーン国立演劇音楽大学で学ぶ。2001年6月まで在籍した。 2000年東京国際音楽コンクールで優勝して知られる。 2001年にフランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、注目を集める。 ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、ストラスブールフィル、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団、フランス国立ロワール管弦楽団、ウィーン室内管弦楽団、カンヌPACA管弦楽団、チェコフィルハーモニー管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、南西ドイツ・フィルハーモニー交響楽団、シンフォニー・シリコン・バレーで指揮をとる。 NHK交響楽団には2005年に初登場した。以後定期公演では20世紀作品と古典を組み合わせるなど意欲的なプログラムを披露している。 2006年、読売日本交響楽団の初代正指揮者に迎えられ、2013年4月から17年3月まで常任首席客演指揮者であった。 2007年4月に上野学園大学音楽学部教授に就任、2016年7月まで務めた。 2009年10月、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に客演指揮する。 2010年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では、レジデント・コンダクターとして、子どものための音楽会などを担当する。 2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任、2014年4月から京都市交響楽団常任客演指揮者、2017年4月からは同常任首席客演指揮者を務めた。2017年4月、広島交響楽団音楽総監督に就任。2011年、広島ウインドオーケストラ音楽監督に就任。 ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮しており、海外でも豊富な経験をもつ。 2017年4月から2023年3月まで京都市立芸術大学音楽学部教授。2023年10月5日、NHK交響楽団の正指揮者に就任した。2024年4月から札幌交響楽団首席客演指揮者に就任予定である。

評価[編集]

わが国でも最高レベルの実力を誇る読売日本交響楽団の正指揮者に選ばれ、さらに任期を延長されたこと、フランス、イタリアの楽団に出演したあと、再演を依頼されているいることから実力は折り紙付きである。手際のよさと、細かいところでもバンバンと指摘しながら、響きにメリハリをつけていく。ヒンデミット、ドヴォルザーク、メンデルスゾーン、ベートーベンなどが得意である。言葉だけではなく身体全体を使ってコミュニケーションをとり楽団をまとめ上げる。