ケリーアン・コンウェイ

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ケリーアン・コンウェイ(英語 Kellyanne Elizabeth Conway、1967年1月20日 -)は第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプの大統領顧問。所属政党は共和党。 大統領候補者を当選させた初の女性選挙対策本部長であった。


経歴

1967年1月20日、ニュージャージー州カムデンで生まれ、出生時はケリーアン・エリザベス・フィッツパトリックの名前であった[1]。 父親は小規模なトラック運送会社経営のアイルランド系アメリカ人で、母親はイタリア系アメリカ人であった。両親は彼女が3歳のときに離婚した[2]。 その後は、母と母方の祖母と叔母の元で、ニュージャージー州ウォーターフォードの郡区で育つ。 1985年にはセント・ジョセフ高校を卒業した。高校ではコーラスで歌い、フィールドホッケーを楽しみ、パレードフロート(祭りの山車)に乗る チアリーダーであった[3]。夏休みにはニュージャージー州ハモントンの農場で、ブルーベリー摘みに従事し、「早く仕事をすれば、より多く稼げる」と語り、16歳のときにはニュージャージー州のミス・ブルーベリープリンセスに選出された。 20歳の時には世界ブルーベリー摘み競争で優勝した。 「人生とビジネスは、この農場での経験から学び初めたことは全てだ」と語る[4]トリニティ・ワシントン大学で優等の成績(上位10%)で文学士を得て卒業した[5]。 1992年にはジョージ・ワシントン大学法科大学院で法務博士号を得た[6]

卒業後はD.C.上級裁判所のリチャード・レビ判事の事務弁護士として働いた。 共和党系のリサーチ会社で経験を積んだ後、1995年に「The Polling Company」を設立した。 2012年には、ニュート・ギングリッチの大統領選挙運動では上級顧問として働いた。

2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙では、テッド・クルーズを支持し、支持団体の委員長を務めた[7]。しかし5月のクルーズの指名争い撤退を受けて、組織を離れた。 2016年7月1日、大統領選挙の共和党指名候補となったトランプ候補の上級顧問となった。コンウェイには女性の投票者に効果的にアピールする方法のアドバイスが期待されていた。2016年8月にはトランプ陣営の選対本部長に任命された[8]

大統領顧問

ドナルド・トランプ大統領の就任と同時に、2017年1月20日、大統領顧問の職に就いた。 トランプ大統領就任式の2日後、NBCの報道番組ミート・ザ・プレスのインタビューにおいて、前日のホワイトハウス報道官ショーン・スパイサーの参列者の数に関する意見を求められた際、「もう一つの事実」(Alternative facts)という言葉を使用した。この言葉はジョージ・オーウェルが1949年に出版したディストピア(反ユートピア)小説『1984年』を連想させるフレーズだったことは多くのコメンテーターから指摘されている[9]

人物

  • 選対本部に本格的にかかわるきっかけとなったのは、強力な共和党の資金的支援者であるヘッジファンド・マネジャーのロバート・マーサーとのつながりと、スティーブ・バノンの推薦である。世論調査の専門知識を生かし、女性票獲得に知恵を絞り、激戦区に焦点を当て、さらにドナルド・トランプの扱い方に長けていたことが、コンウェイ氏が勝因をもたらしたポイントとされる[10]
  • 政治に関心を持ったのは1984年の高校生の頃。民主党下院議員でイタリア系のジェラルディン・フェラーロが初めての女性副大統領候補になったときだ。だが、この選挙で再選された共和党のロナルド・レーガン大統領の演説を聞いて共和党派になった。「レーガンの言葉は胸に響いた。私は気持ちが高まるような、野心的でタフガイ的なものが好き」と彼女は語っている[11]

出典