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'''キックボクシング''' (kick boxing) とは、[[ムエタイ]]の試合ルールを参考にして、[[野口修]]が[[空手]]家や[[ボクサー]]を起用して始めた、拳足による日本発祥の打撃[[格闘技]]。当初はムエタイとの違いを出すために、投げ技も存在していた。一般にキックボクシングとは日本で生まれたものを指すが、場合によってはボクシングのリングを使ったプロ打撃系格闘技全般の総称を指すこともある。
  
 
== 概要 ==
 
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*[http://www.aj-kick.com/ 全日本キックボクシング連盟]
 
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*[http://www.shinnihonkickboxing.com/ 新日本キックボクシング協会]
 
*[http://www.shinnihonkickboxing.com/ 新日本キックボクシング協会]
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*[http://www.njkf.jp/ NJKF]
 
*[http://www.wakoweb.com/ WAKO]
 
*[http://www.wakoweb.com/ WAKO]
 
*[http://www.kickboxing-wka.co.uk/ WKA]
 
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*[http://www.mekong.ne.jp/directory/society/noguchigym.htm  野口ジム襲撃事件]
 
*[http://www.mekong.ne.jp/directory/society/noguchigym.htm  野口ジム襲撃事件]
  
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2009年11月16日 (月) 07:46時点における最新版

キックボクシング.jpg

キックボクシング (kick boxing) とは、ムエタイの試合ルールを参考にして、野口修空手家やボクサーを起用して始めた、拳足による日本発祥の打撃格闘技。当初はムエタイとの違いを出すために、投げ技も存在していた。一般にキックボクシングとは日本で生まれたものを指すが、場合によってはボクシングのリングを使ったプロ打撃系格闘技全般の総称を指すこともある。

概要[編集]

芸能興行を業務とする野口プロモーションの野口修が、1960年代に興行目的でタイの国技ムエタイを日本に招致する興行プランを立案。「ムエタイ対空手」、「ムエタイ対ボクシング」の異種格闘技戦のアイデアを実現させるために、試合としてのルールを編成したものが源流である。

興行が成功した結果、キックボクシングは「アジア地区で立ち技格闘技として最強と謳うムエタイに対抗し、日本が独自で開発した格闘技の一つ」とするのが有力な説である。初期のキックボクシングの試合に実際に出場していたのは、日本の空手家やボクサーたちで、彼らはタイに行ってムエタイを修行してきたわけではなかった。それゆえ、ムエタイとキックボクシングの伝系のつながりは何ら存在しない。キックボクシングは、ただグローブ着用による拳足を用いた直接打撃制試合の形式を、ムエタイから借用してきただけである。

キックボクシングが成立したのちもタイ国内において日本のキックボクシングは「ムエタイ」そのものであると長く誤解されていた。このため、タイに設立した野口ジムの看板にムエタイをあらわす Thai boxing ではなく日本製の kickboxing の表記がされているのを見た大衆が「ムエタイをリスペクトしていない」としてジムを襲撃する野口ジム襲撃事件も起きたが、今日ではキックとムエタイの違いは世界的に知られている要出典。また 、"kickboxing" の和製英語としての世界的普及度はトップレベルである。

第一人者である沢村忠は「キックの鬼」と呼ばれ、漫画アニメ作品にも取り上げられた。

歴史[編集]

キックボクシング成立前史[編集]

昭和34年(1959年)12月20日、東京浅草公会堂(台東区)で日本で初めて、サノン・ETC対ベライノ・チールムーンというタイ人同士によるムエタイの試合が開催された。ちょうどこの頃、ムエタイに興味を示す空手家が現れた。日本拳法空手道の山田辰雄である。当時、山田は直接打撃制による空手の試合化を目指しており、その研究の一環として、ムエタイに興味を示したのである。山田は、すでに同年11月に「新スポーツの発足と其企業化計画草案大綱」なる企画書を発表し、新スポーツ「空手ボクシング(仮称)」を提唱した。この企画書の中で山田は「昭和三十五年の新春を期して、当方競技とやや同系類に属する『タイ国拳法選士団』を招聘」すると発表した。浅草公会堂で行われたムエタイ試合が、山田が招聘したものかどうかは判然としないが、山田が日本で初めてムエタイに関心を示した空手家の一人であったことは確かである。

山田はさっそく、飯田橋の道場にムエタイ・前チャンピオンのカウキー(カウイとも)を招待して、息子の山田侃にスパーリングの相手をさせ、ムエタイの研究を始めた。このカウキーを山田のもとへ連れてきたのが、野口修だったのである。昭和36年(1961年)、山田が発行した『日本拳法空手道教本』創刊号には、すでにカウキーの写真が掲載されており、この時すでに山田は空手とムエタイを融合させた新スポーツの構想を膨らませていた。

昭和37年(1962年)、山田は空手ボクシングを「第一回空手競技会」として後楽園ホールで開催した。これはノックアウト(打倒勝)、体重別階級、グローブ着用などのルールを採用して行われた。のちのキックボクシングやフルコンタクト空手に先駆ける画期的試みだったが、「寸止めルール」を採用する当時の空手界からは黙殺され、新聞記事でも「ナグるケる木戸ご免」、「正統派?うたう空手競技会」などと酷評された。山田の早すぎた試みは結局挫折に終わった。

一方、野口修は昭和37年8月24日に後楽園ホールで開催された日本で二度目のムエタイ試合を観戦して感激し、空手対ムエタイの興業の可能性を感じた。早速野口は空手家にこの構想を打診するが、この時の相談相手が大山倍達(当時大山道場、のちの極真会館)と山田辰雄だったのである。

翌昭和38年(1963年)、黒崎健時中村忠大沢昇(当時は藤平昭雄)が出場して、タイ・バンコクで空手対ムエタイの交流戦が開催された。この試合は日本から空手が殴り込みに来たと現地で大変な反響を巻き起こした。この時の試合は二勝一敗だったが、唯一敗れた黒崎健時はムエタイを研究してキックボクシングのジムを作り、またオランダの極真道場からのちにピーター・アーツなどを輩出するメジロジム(アーネスト・ホーストを擁するボスジムもここからの分家)を作った。

キックボクシングの誕生とその後[編集]

タイでの成功に自信をつけた野口は、昭和41年(1966年)1月30日、キックボクシングの名称を考案して日本キックボクシング協会を設立し、当時の空手家やボクサーを集めて、同年4月11日に大阪府立体育館で初めての興行を開催した。この時、直前になって突然大山倍達から「都合があって、申し訳ないが、どうしても選手を出せない」と辞退の連絡を受けた。山田辰雄の道場の選手だけでは試合に足りないことに慌ててた野口が、この時急遽出場を依頼したのが、のちのエースとなる沢村忠剛柔流空手出身)だったのである。

興行エリアの重なるボクシング業界に対しては、ライオン野口(本名・野口進。元ボクシング日本王者で野口ボクシングジム創始者)の次男で、自らもボクサーであった野口が強引に説得し、テレビ局に対しても積極的に売り込んでいった。野口の政治力、熱意なしに国内に根付くことはなかったとする評価はある種妥当であろう。

一方、山田辰雄は翌年の昭和42年(1967年)死去するが、日本拳法空手道はキックボクシング成立にその後も協力し、杉並ジムの名前で、昭和44年(1969年)には、錦織利弘(リングネーム・錦利弘)、江口和明らを選手として送った。錦織は日本人としては初めてタイ人現役ランカーにKO勝利、江口は初代バンタム級チャンピオンになるなど活躍した。

その後、沢村忠エースの育成に成功したキックボクシングは、ブームを巻き起こし、一時はTBSYKKアワー キックボクシング中継)、日本テレビゴールデン・キックボクシング)、NET(現・テレビ朝日、ワールドキックボクシング)、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の4局で放映されるほどの人気を誇るまでに至った。 極真会館はキックボクシング成立以前からプロ空手の立ち上げを狙っていたが、キックボクシングが成立後、極真ジムを立ち上げて山崎照朝(極真全日本優勝)などの選手を送り込んだ。

しかし沢村忠が引退し放送が打ち切られると団体が次々と分裂し人気下降に拍車がかかる。また本家の野口も他に類を見ない情熱の男ではあるが「興行師」として損得をクールに見つめる目をもっており、一方の五木ひろしの興行で莫大な利益をあげていたという声もある。

しかし1990年代になり、空手による興行を行っていた石井和義が、トーワ杯などのルールを基にキックの亜流ルール(ヨーロッパキックボクシングルール・肘打ち禁止)でボクシング空手ムエタイなど、多くの立ち技系格闘技の選手を招いて大会を行い、打撃系格闘技最強を決めるイベント「K-1」を立ち上げ、人気を博す。

2002年にはK-1ミドル級部門も設立。日本人のキックボクサーの活躍も増え、キックボクシングの注目度はさらに高まっている。しかし沢村の時代も含め、あらかじめ勝敗を決めて行う試合が横行したこともあり、プロレス同様に今も一般紙で報道されることはほとんどない。

ルール[編集]

団体分裂の影響もあり、ムエタイに近い物から危険な技を取り除き安全性を高めたものまでさまざまなルールが存在する。 特に肘や膝を用いた攻撃は流血を伴いやすいく禁止されていることもある。 最も極端なスタイルでは肘打ちや膝蹴りはもちろん、団体によってはスネをつかった蹴りも禁止され、腰から上のみの攻撃が許されているというものがある。 日本のキックボクシング誕生初期にはムエタイに対抗するため頭突きや柔道式の投げ技を認められていたこともあった。

キックボクシングの試合は2-5Rで行われることが多く、ボクシング同様3分1ラウンドで1分の休憩を挟む形式が主流でムエタイのよう休憩を2分取ることは稀である。団体によってはボクシング同様、12ラウンド試合を行う場合もある。

服装[編集]

アマチュア[編集]

団体やルールにもよるが、通常はボクシングやムエタイ同様選手はキックボクシング用の長ズボン又はトランクス、ヘッドギア、グローブを着用する。足には靴を履かず裸足で試合を行う場合が殆どだが、ルールによっては脛あてと足を保護する靴型のプロテクターを着用することもある。また、負傷防止のためマウスピースとファウルカップを着用する。アマチュアのムエタイでは胴体部分に防具を身につける。

プロ[編集]

団体やルールにもよるが、通常はボクシングやムエタイ同様選手はキックボクシング用の長ズボン又はトランクス、グローブを着用し、足には靴を履かず裸足で試合を行う。ルールによっては、プロでありながら脛あてと足を保護する靴型のプロテクターを着用することもある。腕にパープラチアットをつける選手もいる。(スパーリングの場合にはヘッドギアを着用することがある)

勝敗[編集]

アマチュア[編集]

  • KO(KnockOut):相手がダウンしたのち、10カウント以内に立ち上がれない場合やファイティングポーズをとれない場合、もしくはレフェリーがダメージ甚大と判断してカウントアウトした場合。
  • 判定(英:on Point):ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。

プロ[編集]

  • KO:プロの場合、相手がノックダウンしたあと10カウント以内に立ち上がれなかった場合。
  • TKO(technical knockout):どちらかの選手が明らかに不利な場合や、試合続行不可能な状態になって試合を止めた場合。
  • 判定:ラウンド毎に採点をし、より多くの点をとった選手を勝者とする。

採点方法[編集]

採点方法は10点満点の減点方式。ノックダウン1回で2点減点、ノックダウン2回で3点の減点。ノックダウンがなかった場合、より的確にパンチを当てていた選手に10点が、そうでない選手に9点が与えられる。採点は3人のジャッジで行い、2人以上のジャッジが支持した選手を勝者とする。ジャッジが3人とも一方の選手を支持した場合をユナニマス・デシジョン、2人が支持し、もう1人が引き分けであった場合をマジョリティ・デシジョン、1人のジャッジがもう一方の選手を支持した場合をスプリット・デシジョンと呼ぶ。またどちらの選手も2名以上のジャッジの支持を得られなかった場合、ドローとなる。3名が引き分けとした場合をユナニマス・ドロー、2名が引き分けとし、もう一人がいずれかの選手を支持した場合をマジョリティ・ドロー、ジャッジ2名がそれぞれ異なる選手を支持し、もう一人が引き分けであった場合をスプリット・ドローと呼ぶ。

反則[編集]

試合中に以下の行為を行った場合、反則となり、レフェリーに注意を受ける。注意が重なった場合、減点対象となり、悪質な場合は失格負けとなる。

  • バッティング:頭、肘などで攻撃する。
  • ローブロー:相手のベルトラインより下を攻撃する。
  • ラビットパンチ:相手の後頭部を攻撃する。
  • 相手の背中側を攻撃する。
  • レフリーがブレイクを命じた後に攻撃する。
  • ラウンド終了のゴングが鳴った後に攻撃する。
  • サミング:グローブの親指で相手の目を突く攻撃。
  • オープンブロー:グローブの内側で打つ攻撃。
  • 投げ技で相手を地面に投げる。(散打シュートボクシングを除く)
  • ラウンド中に規定の回数以上の蹴りださない。(団体やルールによる)
  • 肘打ち(団体やルールによる)

タイトル[編集]

ボクシングとは違い、日本の王座認定団体は複数に分裂しており、また世界王座認定団体も多く乱立している。ここでは、プロの日本の地区王座、主要な日本王座そして世界王座を挙げる。

アマチュア[編集]

この一覧には空手の団体も含まれているが、これは競技にボクシング用のリングまたはグローブを使用し、直接打撃制のルールを採用しているからである。また、プロのキックボクシングの王座を認定する団体がアマチュアの大会を開いたり、アマチュア王座を認定する場合もある。

参考文献[編集]

  • 沢村忠監修『キックボクシング入門』秋田書店 1969年
  • 小沼保『本部朝基と山田辰雄研究』壮神社 1994年
  • 『フルコンタクトKARATE』1994年5月号 福昌堂

関連項目[編集]

外部リンク[編集]